ダイビングスタッフ紹介
Diving staff introduction
- Diving staff introduction
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星野 直樹NAOKI HOSHINO
- 国籍
- 日本
- 生年月日
- 2月3日
- 役職
- 石垣島ダイビングスクール 店長
- インストラクター歴
- 22年
- 石垣島ガイド歴
- 24年
- 資格
- PADIマスタースクーバダイバートレーナー
- 大型二種自動車免許
- 潜水士
- 小型船舶操縦士
- 開催可能SPコース
- アンダーウォーターナチュラリスト、ディープダイバー、エンリッチドエア、ナビゲーション、ボート、ドリフト、ナイト、ドライスーツ、マルチレベル、デジタルフォト、魚の見分け方、PPB
- 出身地
- 東京都 足立区
- 趣味
- 船のエンジンを見る、拭く、磨く、綺麗になる、そして笑う。
- バイクのエンジンを見る、拭く、磨く、綺麗にする、そして笑う。
- バイクに乗って石垣島の海沿いを走ること。
- 自己紹介
- とにかくダイビングが好き。
専門学校にてダイビングインストラクターになる。
高校卒業から現在に至るまでダイビング一筋!
初心者、ブランク、ベテラン、体力、リクエストなど様々な条件により少人数チーム分けを行い少人数でガイドすることが僕の好きなダイビングスタイルです。
お客様の要望やリクエストに何でも応えたくなってしまうところが短所です。 - この仕事をする上で大切にしていること
- 初めて来店されるお客様にも、常連のお客様にも分け隔てなくどんなことでも丁寧に伝えることを心掛けています。初めてくるお店、初めて触れ合うスタッフ、久しぶりのダイビング、久しぶりの船、私たちからしてみれば毎日の事ですが、お客様にとっては初めてなことや久しぶりなこと。私たちの仕事はお客様と長い時間触れ合います。一切の誤魔化しがききません。しっかり伝えることでお互い気持ちのいい一日を過ごして頂き、ダイビングを行うことができます。
- この仕事をしていてよかったと思うこと
- 僕たちは形には見えない商品を販売しています。
見えない商品を、初めてのお客様や常連様に、ダイビングが上手なお客様もいれば、下手なお客様もいて、穏やかな日もあれば、時化のときもあり、その日その時、自分がおかれている状況でお客様にしてあげられることを常に考え一生懸命ガイドし個々のお客様が満足して喜んで頂けたときです。 - お客様に一言
- ダイビングショップは何処も同じではありません。
私たちは『思い』が違います。
星野 直樹【潜水道】
- 東京時代
高校生時代家族で来島した石垣島で体験ダイビングに挑戦する。
その時の記憶はほとんどなく、楽しかったのか?苦しかったのか??うまくできたのか?
ダイビングの事は思い出そうとしても思い出せず・・・。ただただ、印象的なインストラクターだけは記憶になりました。宿泊先ホテルに送られる際助手席に座り担当してくれたインストラクターが将来やりたいことがなければ、こんな仕事もあるよ!と名刺をくれ、それは今でも大切に持っています。インストラクターは千葉県・松戸の暴走族で中卒。僕は東京都・足立区の定時制に通う自動車科高校生。きっと地元が近いということもあり、目をかけてくれました。
- 専門学校入学
単純な男の子なのですぐにインストラクターになりたい気持ちが芽生え、進路を探していたところ東京・西葛西にある専門学校でダイビングインストラクター科を見つけ入学。
高校が定時制の自動車科と言うこともありダイビングの業界に就職してくれないと就職率が落ちるそうなのでスムーズに入学できず…苦笑入学後は、カリキュラムにあるいろんなマリンスポーツを経験しましたが、もうインストラクター一直線です。授業は、ダイビングの事や、気象学、経営学、器材など学びましたがほとんど身になっていません…
月に一度の東伊豆城ケ崎海岸が実習先で東京駅からダイビング器材を持ち東海道の鈍行で通ったのを覚えています。実習に行っても僕たちのやることは、マスク脱着、ホバーリング、レギュレーターリカバリー、素潜り、平行潜水など体力トレーニングやスキル練習ばっかりで全然ダイビングが面白くなく…辞めてく人間もたくさんいました。とにかくスキルばかりで2年の夏前までは、伊豆によくいるミギマキという魚とソラスズメダイしか知りませんでした。
- 専門学校2年の夏
企業研修で訪れた石垣島でマンタと再会する。
石垣島の師より「マンタを見た時の感動がない奴は、マンタを魅せても感動を与えることはできない。」
見せるではなく魅せる。益々ダイビングにはまるというよりはインストラクターという仕事にはまっていきました。
- 就職
専門学校卒業時、石垣島に就職するか都市型に就職するか悩みに悩んだ末、都市型のショップへ就職することに決めました。石垣島に行きたい気持ちはありましたが、講習や器材販売の勉強と、もっと違う場所も見たかったからです。石垣島だけに拘らず。
いつかは石垣島へ渡ることも決めていたので、小さなお店に就職するよりはコースディレクターが5人以上、器材量販店数店、旅行会社、リペアセンターをも自社で持つ大手のショップを選びました。石垣島に渡った時に大手ショップの方が武器にできると思ったからです。
ここでの出会いは10年経った今でも続いています。
出勤初日、渡されたのはダイビング器材メーカーのカタログ20冊以上…当時はまだカタログでした。とにかくこのカタログを丸暗記してきなさい。と…。 Sプロの特徴、マレスの特徴、Bismの特徴…通勤電車では、ずっとダイビング器材の勉強でした。カタログを一通り覚えると今度はPADIのマニュアル丸暗記…苦笑
インストラクターは全てここに入てる。こめかみを指でトントンしたのを今でも覚えています。海には週末だけ伊豆に通い、講習と器材販売の経験を積むことができました。この3年間は今でも凄く役に立っています。今だからこそ石垣島でも講習やシュノーケリングが開催されていますが、僕が初めて来た15年以上前は、ファンダイビングがメイン。シュノーケリングって何??その辺で勝手にやって!そんな時代でしたからね。
- 石垣島へ
そんな大手ダイビングショップも不景気のあおりを受け倒産。22歳で会社が倒産し、これも一つのきっかけということで兼ねてより目標だった石垣島へ移住。
体験ダイビングを担当してくれたインストラクターに出会う。
風貌、特に髪型は変わっていましたが、声や雰囲気ですぐにわかりました。アッこの人だ。 その人に聞いたところもちろんおぼえてなく、そんなこと俺言った??苦笑
いまでも良くしてくれる大先輩です。- 市街地のショップで勤務
石垣島の市街地にあるダイビングショップで3年間勤務する。
主に船長、シュノーケリングや体験ダイビング、PADI講習、ファンダイビングを担当する。東京時代とは違い毎日が海です。年間2,500人以上来店する人気店です。お客様のいない日がない大忙しの毎日でした。オーナーは、いくらインストラクションが出来ても船長一つできなければ一人前ではない!!という考えの人でしたので、操船技術を一から教えて頂き、2隻所有でしたがどちらも操船できるようになるまで教えて頂きました。
「やまだて」に関しても、俺と同じことができるようになってからオリジナルの「やまだて」を覚えなさいと言われ、「やまだて」のみで同じ場所に停められる技術が身につきました。というよりGPSなんてついてないので覚えるしかなかったですけどね…苦笑
大型のダイビング船に乘ってみたく、大きなダイビング船を所有するダイビングショップで1年間勤務する。主にファンダイビングを担当させて頂きました。もうこの頃には独立を考えていたこともあり、大型船やシリンダー充填などを経験させて頂きました。
- 結婚を機に独立
2009年 石垣島市街地に「八重山Diving Service Field」創業。
現在に至る
- 今後の目標
- 石垣島初オンラインショップ設立
- 法人化
- ハード面、ソフト面の充実
- 日本の七大都市に支店を出す